暇と退屈の倫理学
著者:國分功一郎
出版:新潮社 2021年

[目次]
序章 「好きなこと」とは何か?
第1章 暇と退屈の原理論―ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第2章 暇と退屈の系譜学―人間はいつから退屈しているのか?
第3章 暇と退屈の経済史―なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
第4章 暇と退屈の疎外論―贅沢とは何か?
第5章 暇と退屈の哲学―そもそも退屈とは何か?
第6章 暇と退屈の人間学―トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第7章 暇と退屈の倫理学―決断することは人間の証しか?
結論
[内容]
筆者は暇とは何か、退屈とは何かを哲学者達の考えを批判しつつ考察していく。
パスカルは「人間の不幸は家でじっとしていられないがために起こる」という。
他にもニーチェ、ラッセル、マルクス、アレント、ハイデガーなどの考えから退屈や暇について深く考えている。
[感想]
タイトルから、暇と退屈に縁のない自分には関係ない本だと思っていた。しかし、周りの人達を見ていると「暇だ」「退屈だ」といつも話たりしているのを見ていると、人間てのはなんで退屈するんだという疑問が頭から離れなくなってくる。
読んでみると、なるほどとしか言いようがなかった。求めていた答えに対する回答があったと思う。
人間はなぜ退屈するのか?また、そもそも退屈とは何なのか。この根本的な問いに本書は答えようとしている。そして、読む前にふわっとした概念だった「暇」や「退屈」が輪郭を表してきた気がする。(ここには書かないが、本の中には書いてある)
日常でよく耳にする「暇だ」「退屈だ」の処方箋は、まだ見つからない。ヒントはたくさん散らばっている。「贅沢」の中や、「衣食住」など身近なものの中にも、退屈を紛らすものが含まれているということだ。
各々が、それを見つけて、「楽しむ」こと。単純なことだけど、前提として楽しめなければ、「退屈」は変わらないということ。
また結論の最後に、そもそも世界には「退屈」にありつけない人々が存在することを忘れてはならないという指摘がある。そういう人々から困窮をなくすことを考えることも重要だと言っている。
社会の人々が「暇という幸せ」を忘れてしまってはいないか。暇や退屈すらできない(余裕がない)人々がいることを皆んなが自覚しなければならないと思う。
退屈は苦しいけど、幸せでもあるんだという事実。
民主主義とは何か

著者:宇野重規
講談社2020年
[目次]
序:民主主義の危機
第一章:民主主義の「誕生」
第二章:ヨーロッパへの「継承」
第三章:自由主義との「結合」
第四章:民主主義の「実現」
第五章:日本の民主主義
結び:民主主義の未来
[感想]
まずは、ここまでわかりやすく民主主義を説明した本はないだろうということ。政治の本ってなんか、専門用語多くて読みにくいけど、この本は違う。
古代ギリシアの民会から始まった民主主義が現代のヨーロッパ、アメリカ、日本にどう繋がっているのか。
また、有名なルソーやミル、ウェーバー、ハンナ・アーレントの考えも出てくる。こんな面白い政治の本は他にないだろう。最初から最後まで一気に読めた。
[用語]
ポピュリズム
政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す運動である。 日本では、「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」という意味で使用されることが多い。
利益誘導(りえきゆうどう)
多数派の利益よりも親族や自身の選挙区民、関連団体など仲間や身内の少数派へ補助金や特権など利益をもたらそうとする行為である。
統帥権(とうすいけん)
軍隊の最高指揮権を指します。君主国や共和国では、国家の元首である君主や大統領、首相が統帥権を掌握するのが一般的です。
日本では、大日本帝国憲法の時代には天皇が統帥権を持ち、陸海軍を指揮監督していました。天皇は戦争の開始や講和の権限も持っていました。
統帥権に関する特徴は次のとおりです。
内閣や議会は統帥権に口出しすることができませんでした。
軍令機関の長である参謀総長や軍令部長が天皇を輔弼(ほひつ)していました。
軍事は専門領域とされており、首相も関与できませんでした。これを「統帥権の独立」と呼び、政治的対立の重要な争点となりました。
明治時代以降、軍部は統帥権の独立性を武器として議会に圧力をかけ、勢力を拡大することもありました。
『論理哲学論考』を読む

[目次]
1語りえぬものについては、沈黙せねばならない
2現実から可能性へ
3対象に至る方法
4これでラッセルのパラドクスは解決する
5論理が姿を現す
6単純と複合
7要素命題の相互独立性
8論理はア・プリオリである
9命題の構成可能性と無限
10独我論
11自我は対象ではない
12必然性のありか
13死について、幸福について
『論考』の向こう
[感想]
ウィトゲンシュタインは何を言いたかったのか、この本は何を伝えたいのか。
それは本人にしか分からない。
個人的に10章の「独我論」についてが興味深かった。
『論考』
一、「世界は成立している事柄の総体である。」
五・六「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。」
要するに、私以外は思考不可能。語れないもの。
そして、13章では永遠、死、幸福について書かれている。
六・四五「永遠の相のもとに世界を捉えるとは、世界を全体としてー限界づけられた全体としてー捉えることに他ならない。」
史上最強の哲学入門 東洋編
著者:飲茶
河出書房 2016

[目次]
まえがき
東洋哲学とは何か?(1)ー東洋哲学は「ピラミッド」である
第一章 インド哲学
1ヤージュニャヴァルキヤ
2釈迦
3龍樹
東洋哲学とは何か?(2)ー東洋哲学は「ただの耳」である
第二章 中国哲学 タオの真理
戦国時代に登場した哲人たち 諸子百家
4孔子
5墨子
6孟子
7荀子
8韓非子
9老子
10荘子
東洋哲学とは何か?(3)ー東洋哲学とは「ウソ」である
第三章 日本の哲学 禅の真理
日本仏教の歴史 聖徳大使~徳川幕府
11親鸞
東洋哲学のエッセンス 禅の歴史
12栄西
13道元
悟りを超えて 十牛図
あとがき
[内容と感想]
全てはインドから始まった。インドから始まり日本に伝わった仏教。その歴史を辿る本。仏陀の弟子が仏教を広めて中国に渡り、中国から日本に伝わり仏教となる。
中国の道教の考え方も素晴らしいし深い。ただ個人的には第三章の仏教編が一番熱かった。日本は聖徳太子から仏教が広まっていった。
それから空海、最澄へ…。日本の歴史の本としても使える。
[用語]
世間虚仮(せけんこけ)・・・「世界は分別によって作られた虚構である」
唯物是真(ゆいぶつぜしん)・・・「しかし、唯一、仏だけが真である」
最澄(さいちょう)日本天台宗(比叡山延歴寺)
空海(くうかい)日本真言宗(高野山金剛峯寺)
親鸞(しんらん)浄土真宗・・・阿弥陀仏の本願(苦しんでいる人々を全員助けたい)の人。「他力本願」。法然という偉い人の弟子。
栄西(えいさい)臨済宗(りんざいしゅう)の偉いお坊さん。
道元(どうげん)日本曹洞宗の開祖。只管打座(ひたすら座禅にうちこむ)
よく生きる
[目次]
第1章 幸福(生きる
幸福とはなにか
ソクラテスにおける「生」と「生のかなた」)
第2章 他者(孤独の突破
人間の高さ)
第3章 神(ギリシア人の神
ソクラテスの神
妙高人と絶対他力
他者を求める神
神の高さと低さ)
第4章 社会(市民の概念と人間の平等
デモクラシーの基礎と未来
現代の政治哲学)
[内容と感想]
幸福とは何かについて、東西の哲学や宗教を語りながら説明する。とくにレヴィナスがよく出てくる。他者との関係、また神とは何かと。
ソクラテスが言う「よく生きること」とは?
「正しく生きる」ことなのだと。当たり前のことかもしれないけど、それが簡単にできない。
何故か。自分を捨てなければならないから。
「愛」とは何か?なぜ、「挨拶」することが大切なのか。
ギリシアから現代まで、仏教、キリスト教、様々な思想との対話ができる本。何度も読みたい、そんな本。
この本を読んで、次はアランの「幸福論」に続けたくなった。アランは騎士道の人だと誰かが言っていた。自分の命を捨てても、生き方を貫く。そんな姿勢に憧れる。
プラグマティズム入門
著者-伊藤邦武
ちくま書房 2016

【目次】
序章 プラグマティズムとは何か(複数の誕生と再生
ジェイムズの考えた「プラグマティズムの意味」)
第1章 源流のプラグマティズム(パース
ジェイムズ
デューイ)
第2章 少し前のプラグマティズム(クワイン
ローティ
パトナム)
第3章 これからのプラグマティズム(ブランダム
マクベスとティエルスラン
- ハークとミサック)
【人物像と思想や概念】
・チャールズ・パース(1839~1914)プラグマティズムの最初の提唱者。
父が数学者でその影響を受ける。形式論理学における革命という形で具体化していく。デカルト以来の哲学の思想的前提や問題設定を批判する。
言語や記号ぬきには思考や認識することできないこと主張した。活動あるいは行為、実践のことをギリシア語で「プラグマ」と呼ぶ。
デカルト的な懐疑を否定して、行為を可能する認識の役割を吟味しようとする「行為」を軸に考える認識論は「プラグマティズム」と呼ばれる。
中心概念「明晰さの第三段階」「プラグマティックな格率」
・ウィリアム・ジェイムズ(1842~1910)パースの盟友。
パースと同じ科学者であり、専門分野は生理学・心理学・宗教学。
プラグマティズムの発想を「真理」「価値」などような抽象的な概念にも適用しようとした。
中心概念「信じようとする意志」「純粋経験」「多元的宇宙論」「中世一元論」
・ジョン・デューイ(1859~1952)パース、ジェイムズとは親しい友人。
学校教育、政治、芸術など幅広く活躍した20世紀を代表する国際的な知識人。ヘーゲル主義とダーウィンの進化論を重ねて人間の認識作用について独自の研究を進める。パースの「探求の論理」という発想をこの哲学の中心的な思想と理解して我々の経験や理性がもつ「実験的な性格」を強調すると同時にその言語的・社会的な性格にも注目した。
中心概念「保証付きの言明可能性」「民主主義」
・クワイン(1908~2000)
論理実証主義からネオプラグマティズムを提唱した人。
中心概念「経験主義の二つのドグマ」「根底的翻訳の不確実性」
・リチャード・ローティ(1931~2007)
ネオプラグマティズムを発展させる。
認識論における基礎付け主義、真理についての本質主義、言語に関する表象主義として性格づけたうえでそれぞれが破綻していると主張。
中心概念「連帯」「自文化中心主義」
【感想】
第二章のネオプラグマティズムまで188ページで息切れしてしまった。しばらく時間をおいて続きを読もうと思う。
現代思想入門
著者:千葉雅也
講談社2022

[目次]
はじめに 何故いま現代思想か
第一章 デリダ――概念の脱構築
第二章 ドゥルーズ――存在の脱構築
第三章 フーコー――社会の脱構築
ここまでのまとめ
第四章 現代思想の源流――ニーチェ、フロイト、マルクス
第五章 精神分析と現代思想――ラカン、ルジャンドル
第六章 現代思想のつくり方
第七章 ポスト・ポスト構造主義
付録 現代思想の読み方
[内容・感想]
本書の内容から、現代はポスト構造主義、ポストモダン(近代)の時代。相対主義。なんでもありの世界になってしまう。
しかし、現代思想には相対主義的な面がある。脱構築という概念は、本当の意味ではそうではない。
私たちは、普段から二項対立という考え方で物事を捉えている。そもそも二項対立のどちらがプラスかは、絶対的には決定できない。
デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、フーコーは「社会の脱構築」
まず、デリダ。筆者いわく、ポスト構造主義(現代思想)は「差異の哲学」である。同一性と対立している。
差異の哲学とは?
「人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている」
感想だが、著者のわかりやすい解説で第7章まで一気に読める。最後のポスト・ポスト構造主義のまとめ方がすごく良いと思った。
[人物・キーワード]
ジャック・デリダ
二項対立
ポスト構造主義
同一性と差異
パロールとエクリチュール
本質と非本質
ジル・ドゥルーズとガタリ
リゾーム
仮固定(準安定状態)
生成変化
非意味的切断
全体性
逃走線
ミシェル・フーコー
権力
正常と異常
近代化
規律訓練
自己監視
生政治
多様性
古代人
自己への配慮
ニーチェ
デュオニュソスとアポロン
秩序と混乱
ショウペンハウアー
盲目的な意志
無と力
フロイト
無意識
精神分析
偶然性
カント
物自体
超越論的なもの
表象と事物
有限
マルクス
下部構造
剰余価値
ジャック・ラカン
過剰な動物
欲動
倒錯
疎外
享楽
去勢(エディプス・コンプレックス)
欠如
想像界・象徴界・現実界
本当のもの
ピエール・ルジャンドル
ドグマ人類学
ドグマティック
儀礼
否定神学
近代的な有限性
複数的な超越論性
レヴィナス
全体性と無限
存在の地平と他者
存在するとは別の仕方で
ポスト・ポスト構造主義
逆張り
カトリーヌ・マラブー
形態
可塑性
カンタン・メイヤスー
思弁的実在論
絶対的同一性
偶然的
決定不可能性(相対性)
自然科学的世界像
グレアム・ハーマン
オブジェクト指向存在論
内在性
ラリュエル
非哲学(思弁科学)
一者論
日本現代思想
意味づけ
東浩紀
複数的な超越論性
否定神学システム
原罪
古代ローマ
セネカ
反省
生活のタスク
喜劇的
アクション
事物それ自体へ
絶対的偶然性
